藍読日記 ☆読んだ本と『幻想文学』関連の情報、その他の情報をお届けします。         2003/7/5更新
★読書メモについては主観的かつ恣意的な趣味に基づく書き散らしです。文責はすべて石堂藍にあります。
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2003年6月


高原英理『無垢の力』(講談社)
 折口信夫、山崎俊夫、乱歩、稲垣足穂、三島由紀夫らの作品を取り上げ、男性同性愛とはまた異なる少年愛のあり方について論じる。読みながらさまざまなことを考えさせられるおもしろい評論だった。とにかく、取り上げられている作品がどれも私の嫌いなものばかりなのだが、著者が一歩離れたところからこれら作品の価値を見つめ直そうとしているがゆえに、本書をおもしろく読むことができた。しかしもしかするとこれではまずいのではなかろうか。私のような読者は、むしろ想定される読者からははずれているはずだ。あとがきで著者は「魅惑される」ことが人を動かすと言い、そのことの価値を大いに認めている。ならば、この評論集にかぎっては、作品の解読を理路整然と行なっていくような論理的な形ではなく、私がこう魅惑された、というところから、魅惑された理由を遡及していくような、極私的なスタイルを取っても良かったのではないだろうか。それこそ、著者自身がもっとナルシスティックであっても良かったのではないか、この評論に限っては。そう思わぬでもない。

折原一『模倣密室』(光文社)
 ギャグ・タッチのミステリ連作。埼玉県の田舎町の警察署に配属されている探偵小説かぶれの黒星警部の周囲で起きるふざけた殺人事件の数々。
 この人の長篇はひどかったが、これは軽いユーモアものなのでわりに読めた。ただし舞台回しの黒星がうざったいので、事件に巻き込まれてさっさと死ねば良いとしきりに思った。

佐々木譲『帰らざる荒野』(集英社)
 開拓期の北海道を舞台にした和製ウエスタン。興味無し。

草薙厚子『レイラの終わらない戦争』(光文社)
 この二月にイラクで取材した著者のルポ。レイラというのは情報省から派遣された通訳兼監視員。いわば政府側の彼女も普通の女性だったというような。ジャーナリストとしては勉強不足で、ルポとしては三流である。ただし、ケミカル・サリへのインタビューがあったのはおもしろかった。いかにも高級官僚然としている人だった。彼女は合衆国に囚われたはずで、その化学兵器技術を今度は合衆国のために使えと言われるのだろう、てな噂もあるが、どうなったんだろう。

平谷美樹『約束の地』
(角川春樹事務所)
 サイキック・ウォーズものSF。日本版X-menか。きわめて通俗的で、ステロタイプ。独立した短篇を長篇に練り上げたというだけあって、ツッコミどころ満載。変な設定にツッコミを入れるのを生き甲斐にしているような人向け。

リュック・ベッソン『アーサーとミニモイたち』
(松本百合子訳・角川書店)
 庭の地下に住む二ミリの小人たちの世界で、少年が冒険する話。まるでダメ。

テリー・グッドカインド『魔都の聖戦』(佐田千織訳・ハヤカワ文庫FT)
 《真実の剣》第三部。ラール様になったリチャードが世界を征服しようと頑張る。ジェットコースター・ファンタジイとでも言いたくなるようなスピーディな展開。

アレックス・シアラー『13カ月と13週と13日と満月の夜』
(金原瑞人訳・求龍堂)
 魔女に身体を乗っ取られて老婆になってしまった少女の物語。こういう魔法の設定なら、主人公をこんなふうに騙す必要はまったくないので、著者の魔法創出能力はまったくお子様レヴェルである。締めの説教もしょうもないぞ。
 金原さんは良いファンタジイを訳す、ポリシイのある人だと思ってきたが、ハリポタ・ブーム以降、すっかり玉石混交になってしまった。大学教授なんだから、そんなに翻訳で荒稼ぎしなくても良さそうなものだが。

ピーター・ディッキンソン『血族の物語』上(斉藤健一訳・ポプラ社)
 新人類の少年少女たちの冒険を描く。先史時代物としては普通の出来ではないだろうか。
 先史時代や、あるいは10世紀ぐらいまでの世界でも良いけれど、過去の人間をどのように描くのが良いのか、ということについて、いつも考えさせられる。こんな非迷信的な世界の見方をしていたんだろうか? 空間感覚とか時間感覚はこれでいいのか? また歴史時代なら、こんな歴史意識や世界観を持っていていいのか? と疑問に思うことが多い。前にも書いたが、現代的な側面がなければ、現代人にとって面白くはないだろうし、またひどくわかりにくくなって、共感できないだろう。だが、それでも、どこまでならば許容できるか、ということになると、難しい。
 ファンタジイについても似たようなことが言えるわけだが、こちらの方が現実ではないだけ自由度が高いようにも思う。とはいえ、わざとアナクロにしているわけでもないのに、やたら現代的なのは、単に著者の無能さを示しているように思われてしまう。

たからしげる『落ちてきた時間』(パロル舎)
 時空の捩れを主たるテーマとしたファンタジイ短篇集。小学生向け。

『ロマの音楽』
 ロマの民俗と音楽案内。CDガイドつき。

『インビジブル・ハート』
 アダム・スミスの信奉者である経済学の教師と英文学を愛する教師のラヴ・ロマンスを通じて、市場至上主義経済の講義をする。政治家なんて信用できない、でも企業の野放しだって危ないというようなエピソードもあって一見複雑だが、結局この考え方では新自由主義経済と変わらないのでは?
 いわゆる新自由主義経済学というのは、強者の論理だと言われている。私自身は、弱者の側にはいないので、ケインズ的福祉国家というのもどうも好きになれないが、しかし、強者が強者の理論を通して恬として恥じないのはもっと見苦しい。

神野直彦『人間回復の経済学』
(岩波新書)
 というわけで、このような本も読んでみる。財政学の立場から、租税の使われ方、所得の再分配についてを見直そうという立場。スウェーデンの経済に学んでいる。これが人間は自己を変革していこうという欲求を持っている、という観点から経済学が組み立てられていて、信じがたい。私は、しょっちゅう、「そういうタイプの人間は少数派である、自分を基準にものを考える」、と言われている。
 とにかく、今、日本の建て直しを謳った本の多くは、地方主義、土地に根づいた個人の奮起ということを訴えていて、民間活力で打開するしかない(バカな中央政府は動かしようがない)というような感じになっている。地方で苦労している友人とか見ると、それもまたほんまかいなという気がしてしまう。

香山リカ・福田和也『愛国問答』
 対談。中身薄し。
 福田和也は宮台真司をバカにして、〈宮台が「シャブを乗りこなせ」と言ったらそれを信じた奴もいる、ふざけんじゃないよ、養命酒も飲めないくせに〉と言っている。ところが、後の方で、香山に〈福田さんの言うことを真に受ける若者もいる、その責任はどうとる積もりか〉と言われ、〈洒落が言えなくなったらおしまいだから〉と逃げる。おいおい! 宮台のことは非難してただろーが。本当にいい加減な奴だ。何についても過激なことを言うのが商売なんだそうで、なるほど、それならば簡単だ、乗りが良くて頭の悪い人間に相応しい商売ではある。
 香山が、反体制的な感覚で、反米から核保有へと反転するあたりが、なるほど、今の「知識人」の思想レヴェルなのかも知れんとも思ったりした。合衆国の核の傘の中にいるのは厭だから核を持とうというのは、非現実的だとは思わないのか。まるっきりバカみたいに見える亀井静香だって、「核というのは攻撃兵器だから持つべきではない」と言っているではないか。核をもってどうするのか? 米国とさらなる緊張関係になりたいのか? まさか。北朝鮮の脅威に対抗するため? あんなものが脅威だと考えるその現実認識の無さを改めた方が良い。核兵器を持つだけの金があったら、NGOにでも金を出して、北朝鮮にたくさんのボランティア(人間)と食料を送り込んだ方がずっとマトモである。
 非核三原則なんてどうせ破られているんだから、あとの二つも破ってしまえばいいのだ、というのも、幼児的な考え方だ。どうしてそんなに武器が欲しいのか。もう充分に、何に使うんだ自衛隊よ、と思うくらいの武器を持っているじゃないか。
 福田とか香山は、あの理想主義的な憲法前文なんかを、カッコイイと思わないのだろうか。非戦、平和主義は、国際社会で武器になりうると私は思う。冷戦時代はいざ知らず、現在ならば、決してそれは非現実的ではない。でも外交関係のルポを読んだりすると、日本には外交がない、外務省はアメリカの言いなり、出来るやつはアメリカの指示で飛ばされる、北朝鮮外交は珍しく健闘したのに、あっという間につぶされた、などという暗澹としたことしか書いていないので、いやになる。
 
梅林弘道『在日米軍』(岩波新書)
 極東の軍事的要である日本(沖縄)の立場と、そこからの脱却の道を示している。日本の軍事的立場を認識するために、コンパクトでわかりやすい一冊。
 本書を読んで、平和憲法を前面に押し出すという作戦は決して絵空事ではないことがわかった。モンゴルはそういう外交をして、国連決議をもらっているという。決議がどうした、とも言えるけど、文化人(死語か?)はそういうところを目指そうとするべきなのでは……。チョムスキーは知識人が戦争の後押しをしてどーするっ!と吼えているが、まったくその通りだと思う。

山田満『平和構築』(平凡社新書)
 地域紛争の概説とその平和的解決への道を探るもの。市民活動に活路を見出すなど、一種の理想論だが、安易な現実主義よりもずっとマシである。

ロバート・ジョーダン『昇竜剣舞』7(斉藤伯好訳・ハヤカワ文庫FT)
 『昇竜剣舞』はこれで終ったが、相変らず何も終らない。サマエルとの対決があるのだが、何だかはっきりしないし、おもしろくもない。ショーンチャン人は攻めてきてマットがやばいし、どうなるのか?

北野勇作『ハグルマ』(角川ホラー文庫)
 短篇のネタで長篇を書いてもうまくいくわけがない。

北野勇作『どうぶつ図鑑』1~6(ハヤカワ文庫)
 ホラー、北野ワールドが舞台のSF、ファンタジイの混在する短篇集。
 動物の折り紙がついているが、次男はもったいなくて、切り取れないと言いながら、普通の折り紙で亀を折った。カメリの話が良い。

牧野修『ファントム・ケーブル』(角川ホラー文庫)
 名高い「ヨブ式」を含む怪奇短篇集。相変らずうまいのね。どうしてどのように上手いのか解析したくなるような上手さ。小説講座のテキストに使いたいような作品というか。

牧野修『呪禁官特別捜査官ルーキー』(祥伝社ノン・ノベル)
 霊的発電所と謎の連続殺人をめぐるバトル。ギアは相変らず可愛らしく、仲間達はそれぞれに成長して魅力的になっている……というわけで、『ファントム・ケーブル』などとは違って、疲れずに読めるエンターテインメント。

冲方丁『マルドゥック・スクランブル』1・2(ハヤカワ文庫JA)
 ネズミと自閉的少女、天才科学者のトリオが闘うSFハードボイルド。
 文章を時々校正したくなる、スピード感と敵方の迫力がいまいち、などの難点はあれども、全体としては好み。ユーモアがあれはなお良いのだが、そのセンスには今一つ欠けるようだ。

『日影丈吉全集』5(国書刊行会)
 『夜の処刑者』『善の決算』『恐怖博物誌』『イヌの記録』を収録する。私見では、これはかなりお買い得な本だ。
 『夜の処刑者』はニューヨークの裏町もののような、銀座を舞台にしたハードボイルド・ミステリ。主人公を初めとして出て来る男たちが良い。『善の決算』は春日検事シリーズで、その変にマニアックなこだわり方は新本格の先駆的作品と言えるのではないだろうか。『恐怖博物誌』は怪奇幻想系の短篇集で、ミステリというほどのミステリではなく、普通小説に近い。「猫の泉」のような純然たるファンタジイも含むが、「東天紅」のような、まったくの日常的な物語もあって、むしろどこか私小説めいた書き振りがおもしろい。『イヌの記録』は探偵小説マニアを戯画化した軽いテイストの短篇連作。これもやはり新本格などの中に入れれば、違和感がないだろう。この作品のユーモアとシニカルな調子は、印象が良く、『善の決算』のいささか思わせぶりなのに比べると、たいそう好ましい。
 横山茂雄の解説は、相変らず重厚で、的を外さず、批評家として小説を読むということついても、勉強になった。

船戸与一『夢は荒れ地を』
(文藝春秋)
 カンボジアでの児童売買をテーマにした小説。四十日もカンボジア取材したんですって、文藝春秋ってお金持ち。でも小説はとってもつまらないのよ。読みながら退屈で死ぬかと思ったわ。ものわかりの悪い融通の利かない自衛官が出て来て、私的な用事でカンボジアで活動中の男を探すんだけど、現地ガイドやマフィアの言うことも聞かないで突っ走って事件に巻き込まれる、その過程で、カンボジアの悲惨な現実が説明されるというわけ。何のための小説? これならただのルポの方がずっと小説的でおもしろいよ。

ジル・フレイザー『窒息するオフィス』(岩波書店)
 レイオフの嵐による厳しい雇用状況により、低賃金、福利厚生なし、過剰労働に耐えねばならないホワイトカラーの実態をルポしたもの。長期休暇が勤続二十年だと六週間だったのが、今は四週間しか取れないんだと! 一週間に60時間労働とか聞いても、ちっとも大変そうって感じがしない……。これまで合衆国のミドルクラスって本当に優雅だったのだなあと思ってしまう。とはいえ、大企業の重役の法外な報酬が、いかなる犠牲の上に成り立っているのかをまざまざと見せてくれる本。これでは、搾取、と非難するのも無理はない。
 アメリカというのは社会福祉がほとんどない国だそうで、お金がないと医療などは受けられないらしい。そのかわりを企業がやっていたということなんだろうか。それもなくなっている、という話だから、かなりひどそうだ。たぶん二十年後ぐらいに悲惨な状況になるのだろう。アメリカの後を追う日本も同じことになるわけだが。

百瀬侑子『知っておきたい戦争の歴史』(つくばね舎)
 インドネシア占領の四年間の教育関係の政策を検証したもの。資料を丁寧にまとめたもので、読むところはあまりないが、なかなか貴重な本ではないだろうか。
 日本はオランダをやぶってインドネシアを占領し、日本語教育、軍国主義教育、皇民化などを行なった。台湾や朝鮮とは違い、母語の禁止はなかった。日本による教育は、むしろインドネシア語(マレー語)の公用語化を推進したらしい。軍隊教育が世界大戦後の独立運動の役にも立ったらしい。
 バリのことは観光地としてしか知らない、東ティモールのことも何だかよくわからない、デヴィ夫人が何なのか知らない、そんな白痴的なことでいいのか、と思う。
 世界大戦後、敗戦国のドイツ、イタリア、日本が植民地を持つことから締め出される一方で、イギリス、オランダ、フランスなどはなおも植民地を維持しようとした。このあたりの戦後史もすっかり忘れられているのではないかという気がする。日本はあまりにも合衆国の方を向きすぎているから。

篠田真由美『唯一の神の御名』(祥伝社ノンノベル)
 《龍の黙示録》三巻。話は過去へと遡り、篠田さんが最も得意とする歴史伝奇になりました。二話を収録。

篠田真由美『angels』(講談社ノベルズ)
 建築探偵番外編。蒼の高校時代の事件を描く青春ミステリ。本格なので、設定は荒唐無稽。1997年というのもリアリティがまったくないが(やっぱり二十年前の高校でしょ、これは)、そのあたりは無視しよう。篠田さんはこういう昔の青春ものを書くのがうまい。

ローズマリー・サトクリフ『三つの冠の物語』『山羊座の腕輪』(山本史郎訳・原書房)
 連作短篇集。前者はローマ=ブリテン三部作とちょうど並行するような時期の、一種の外伝めいた作品と言える。一族に代々伝わるブレスレットをはめた男たちの物語。後者は友情を描いた作品で、それぞれケルト、ローマ=ブリテン、ギリシアが舞台。いつ読んでも上手いとは思うのだが、いつもと同じ不満(心理的な内容が現代的すぎる)を感じる。

ミッシェル・オスロ『キリクと魔女』(高畑勲訳・徳間書店)
 この夏公開のアニメの、監督自身による原作。魔女の力の拠って来るところは『哀しみのべラドンナ』にも通じるもの。より直截ではある。でも象徴化されていて生々しくない。

山本甲士『かび』(小学館)
 ごくまともな主婦、ちょっと自分を抑えすぎるところもある常識的な妻にして幼稚園児の母が、夫が過労で脳梗塞になり、会社から見捨てられたので、キレて会社に復讐するというもの。変。

三田完『暗闇坂』(文藝春秋)
 奇妙な狂った夫婦の生活に巻き込まれた男の話。小池真理子が昔、似たようなのを書いて直木賞をもらったような。こっちの方がずっと平凡でわかりやすくて薄い。

朝倉喬司『こっそりと読みたい禁断の日本語』
(洋泉社)
 エロ系の言葉満載なのかと思ったら、そんなことはござんせん。替え歌ソーラン節とか、桜川ぴん助「どろん・どん」、「四畳半襖の下張」なんどと、大人しいもンです。それに啖呵や罵倒、テキ屋の口上、託宣、呪文なども入る。『声に出して読みたい日本語』のパロディなんざんしょうが、元本が大したことないから、パロディだって腰砕け。っていうかあまりに一般向けで、マニアックな心意気というものが感じられない。ヤクザの言葉だってお決まりの映画の河内弁しかないしねえ。

デイヴィッド・アーモンド『ヘヴン・アイズ』(金原瑞人訳・河出書房新社)
 孤児院の子供たちが脱走して、奇妙な少女と老人に会う物語。サスペンスがない。重さもない。なんだこの結末は? いまひとつ物足りない作家だ。だが、一度カーネギー賞などを取ってしまうと、何でも褒められるし話題になるのだろう。『闇の底のシルキー』がいちばん良かったか。

倉阪鬼一郎『無言劇』(東京創元社)
 prompterって、普通は台詞を教えるんだから、パントマイムというのはおかしい、というのが長男の意見。ここでのプロンプターはだから日本語の、黒衣の意味なんでしょ。でも別にそういう話じゃなくて、つまり、Yの悲劇みたいなんじゃなくて、あるいは統合失調による幻聴とかいうのでもなくて、普通のミステリだった(ミステリに疎いのでいまいち自信がないが)。

黒田日出男『龍の棲む日本』(岩波新書)
 古代・中世の地図に現れている、日本の国土に対する知識人の思想を解読したもの。だから、日本には龍が住んでいるわけよ。

長谷川摂子『人形の旅立ち』(福音館書店)
 島根に育ったという六十歳近い著者が、幼時の体験をもとに紡ぎあげたファンタジー短篇集。人形たちの昇天、少女の霊、トイレから覗く異界、化かすキツネ、八百比丘尼などの素材を、実に自然に少女の生活に組み入れた、ノスタルジックな作品。金井田英津子の画も良い。これは買って損の無い一冊。

金子勝・大澤真幸『見たくない思想的現実を見る』(岩波書店)
 二人で同じものを取材し、その感想を書くという奇妙なルポ。沖縄、高齢者医療、ナショナリズム、過疎などの問題を取り上げている。おもしろいところもあれば、まったくつまらないところもあるが、ハードカバーで買うほどのものではないと思う。

菅浩江『歌の翼に』(祥伝社ノンノベル)
 楽器店の主宰するピアノ教室を舞台にした人情話集。読後感が良く、菅浩江はこのようなあまやかな物語が最もよくはまると思う。

高木徹『戦争広告代理店』(講談社)
 評判が良いので買ってみたが、おもしろくなかった。PR企業がメディアを動かし、メディアが国民や国を動かすという話。戦争だろうが何だろうが関係はないということ。現代もまた権力者が権力を濫用する時代であるということ。語り口が厭な感じ。

高楼方子『ルチアさん』(フレーベル館)
 出久根育画。囲われた世界で暮らしていた二人の少女を描く。短篇を絵本風に仕立てている。彼方への憧れとか地に足のついた現実とかいったテーマ。

【ごあいさつ】『幻想文学』最終号が出ました。それに伴い、藍読日記の連載も終了させていただきます。御愛読ありがとうございました。